朝顔に釣瓶とられてもらい水
朝顔に釣瓶とられて貰い水
朝、起きだして井戸端へ行ってみると、朝顔の蔓が井戸の釣瓶に巻きついている。水を汲むために、蔓をちぎってしまう気にもなれず、そのままにして隣家の井戸まで水を汲ませてもらいにいった、というのである。やさしく風雅な思いやりが、きわめてはっきり、万人に分かりやすいように表現されている。通俗的な意味で俳句を代表する作としてよく知られ、英・独・仏語にも翻訳されて海外にまで聞えた句である。この句に含まれている季語は「朝顔」で、季節は「秋」である。釣瓶(つるべ)とは、井戸の水をくみ上げるために縄や竿をつけた桶のことである。宝暦14(1764)年頃、無外庵既白の「千代尼句集」に入っている。
里の子の肌まだ白しももの花
春になって、村里には美しく桃の花が咲いた。そのあたりに遊んでいる里の子は、まだ日焼けもせず、膚は白いままである。
落鮎や日に日に水のおそろしさ
秋も深く、上流で産卵を終えた鮎は流れを下ってゆき、その水のようすは、一日一日恐ろしげなものになってゆくような気がする。
月の夜や石に出て鳴くきりぎりす
皎々たる秋月の下、つめたく光る庭石の上で、きりぎりすが切々とむせぶように鳴いている。人目のおよばぬ物陰でなくかなしい性を持つきりぎりすであるだけに、月の光にさそわれて石に出て鳴く姿はいやさらに哀れである。
加賀千代(かがのちよ、1703-1775)。千代女。加賀国松任の人。表具師福増屋六左衛門の娘として生まれ、幼少から俳諧を好み、17歳のとき各務支考に師事。金沢藩の足軽のもとに嫁し、子供を産んでからまもなく夫に死なれたというが、嫁に行かなかったという説もある。51歳のときに剃髪して尼になり、素園と号したのちは家業を離れて俳諧に専念した。美濃派や伊勢派の地方俳壇と親しかったため、作風は親しみやすいものであった。生前から女流歌人として著名であり、『千代尼句集』『松の声』などの作品がある。安永4年没、年73歳。
夫との死別後によんだ「起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さ哉」が伝わるが、これは千代の生まれる9年前に遊女浮橋がよんだものである。また「蜻蛉つり今日はどこまで行ったやら」「ほととぎすほととぎすとて明けにけり」「しぶかろかしらねど柿のはつちぎり」などの句も千代の作といわれることがあるが、これらはいずれも伝説的な誤伝によるもので、千代女の作品ではない。
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