船緑丸沈没の悲劇
昭和10年7月3日、神戸から別府に向かう途中、大阪商船の客船「船緑丸」が小豆島蔵ヶ鼻(現在の釈迦ヶ鼻)の1.5哩沖で濃霧のため大連汽船の千山丸と衝突。この事故で船緑丸は沈没し、107名が死亡した。100人以上の海難事故による犠牲者は当時としては最大の惨事だった。ウェブの「今日は何の日??カレンダー」にも記載はない。今では人々の記憶から完全に消え去り、忘れ去られた過去の出来事となった。
その後の戦争による船舶の沈没を除くと、100人以上の犠牲者を出した海難事故は数十件にのぼる。1939年のインディギルカ号沈没、1943年の浦戸丸沈没、1945年の浮島丸事件、1945年の第十東予丸沈没、1948年の女王丸事件、1954年の洞爺丸事故、北見丸・十勝丸・日高丸・第十青函丸沈没、1955年の紫雲丸事故、1957年の第五北川丸沈没、1958年の南海丸遭難事故、1993年の西海フェリー沈没、2014年のセウォル号沈没ほか。
昭和33年その夕テレビに映し出された無人の横殴りの雨が振りつける和歌山港駅。
まだ南海丸が着かぬというニュースだった。
当時小松島に住んでいた少年の私は本当に怖いと思った。
本当に何人もの人が一度に死ぬのかと思った。
本当に怖かった。
投稿: カキステゴメン79 | 2011年7月 4日 (月) 19時21分