歴史の偶然と必然
ジャーナリストの田原総一朗さんがある映画の公開イベントに登壇し、安倍元首相の銃撃事件にふれて熱弁している。田原さんは意外と保守的(右派的)な人で安倍という政治家を高く評価している。「最大の原因は警察がてぬるかった」と話しているが、自民党と宗教の問題には踏み込んでいない。もうご高齢なので多くの期待はできない。最近、わたしは銃撃事件があってからメディアの報道に関心をもつことが多い。ここでは歴史の偶然と必然を考えてみたい。もし背後に警護員が一人でも二人でもいたらどうなっていたか。もし応援の日程の急な変更が無かったら。もし自民党のHPに日程をのせていなかったら。もし札幌地裁のヤジ判決が違った内容だったら。もし演説台あと10㎝高かったら腹部あたりに命中し、一命はとりとめていたかも。もし自転車や台車の通行人がいなかったら、状況は変わっていたかもしれない。もし拳銃の火薬の量が間違えていたら。もし山上容疑者に恋人がいて「無敵の人」でなかったらどうなっていただろう。ほんのわずかの幾つもの事象が偶然に重なって出会うことのない二人がわずか7メートルにまで接近した。だが事件はすべて偶然がもたらした要因だけだろうか。むしろ事件には必然性があるように思える。モリカケサクラ数々の問題に司法も国民も甘かった。もし安倍元首相が真実を語って、周囲も忖度が無かった局面は変わっていただろう。歴史の必然性として、独裁者の最期とは哀れではかないものであり、生は偶然であるが、死は必然である。
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