ドイツ中世都市
「都市の空気は自由にする」というドイツのことわざがある。中世ヨーロッパの農奴は他の地に行くという移動の自由をもたなかったが、都市に逃れて一定期間(ふつう1年1日)領主に見つからなかった場合には、農奴の身分を逃れて自由な市民になり得たことに由来する諺である。
ドイツでは、中世末期におそよ3000の都市が存在していたが、そのほとんど人口1万人以下の小さな都市である。多くは定期市から発展したが、その成立事情から、2種に区別することができる。①自然成長的都市と②建設都市。
自然成長的都市とは、10~11世紀に、しばしば司教座所在地や交通の要衝に成長した。多くは、遠隔地商業の拠点となる大都市であり、のちに帝国自由都市として、完全な自由と自治を享受する。建設都市は、築城権や市場開設権をもつ国王、司教、のちには、領邦君主が都市君主になり、自然成長的都市にならって、自領に作ったものである。一般に規模も小さく、ほとんどは、領邦君主に支配されるラント都市にとどまる。近隣商業や手工業が生業の主体で、自由と自治はおおはばに制限されている。
北ドイツにはハンブルク、リューベック、ブレーメンなどの都市が栄えた。ハンザ同盟の中心的な都市。中央ドイツにはライン川に沿う都市ケルン、マインツ、ウォルムスなどが栄えた。大司教座がおかれ、10世紀以後交易の中心地として繁栄した。南ドイツにはアウグスブルク、ニュルンブルク、ネルトリンゲン、レーゲンスブルクなど。
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