日本暗殺史 井伊直弼
彦根藩主井伊直弼(1815-1860)は安政5年4月大老に就任するや、修好条約調印を勅許を得ずに強行し、南紀派が推す徳川慶福を将軍継嗣に決定した。さらに徳川斉昭や松平慶永、山内豊信らを隠居・謹慎とし、一橋派の活動家や攘夷志士の橋本左内・頼三樹三郎そして吉田松陰らを逮捕・処刑した。世に言う「安政の大獄」である。この弾圧に激昂した水戸浪士たち(一人は薩摩脱藩士)18人は、安政7年3月3日、季節外れの雪の降りしきる桜田門外で登城中の井伊直弼を襲撃、その首を刎ねた。襲撃はわずか、数分間にすぎなかった。彦根藩の侍が急を聞いて飛び出してきたが、時すでに遅かった。幕府は大老の死の横死を公にせず病死扱いとすることで、井伊家の安泰を約束、一方の当事者である水戸藩に対しても、何ら処分しなかった。ここに桜田十八士を記す。関鉄之介、岡部三十郎、稲田重蔵、山口辰之介、鯉淵要人、広岡子之次郎、黒沢忠三郎、斎藤監物、佐野竹之助、大関和七郎、森五六郎、蓮田市五郎、森山繁之介、海後磋磯之介、杉山弥一郎、広木松之介、増子金八、有村次左衛門。
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