小原保と短歌
昭和40年頃、「犯人はこんな男です。東北弁ナマリで中年男」というチラシが配られ、テレビ・ラジオで犯人の声が放送された。人気歌手のザ・ピーナッツが「かえしておくれ今すぐに」と歌っていた。昭和38年3月31日の事件発生からすでに2年が経過していた。そして昭和40年7月3日、犯人が逮捕された。
小原保(1933-1971)。この戦後最大の誘拐といわれた「吉展ちゃん事件」の犯人の名前をある年齢以上の方なら多くの人が記憶にとどめているであろう。
千葉県東金市に住む「土偶短歌会」の主宰者に、獄中の小原保から郵便が届けられた。昭和44年6月のことである。内容は数年前から短歌をしており入会したいということであった。土偶短歌会の主宰者は小原の心境や境遇を理解し、会員たちに説明したが、やはり「吉展ちゃん殺しの小原は駄目だ」という反発の声があった。そこで主宰者は小原の投稿歌を「福島誠一」という筆名で載せることにした。福島は小原の出身県、誠一は「誠実一筋」の意味を込めたという。小原が土偶短歌会の会誌「土偶」に寄せた短歌は、一回の休詠もなく、378首にのぼった。昭和47年の正月3日に小原から手紙が届いた。「思えば二年数ヶ月、縁あって土偶の仲間に加えて頂いたのですが、私のような者をも心温かく迎えて下さり、今日までご指導頂きまして訳ですが、その間先生をはじめ土偶のみなさんの心温まる励ましによって、心たのしく勉強することが出来ましたことは、何よりの幸せでした。明日、最期を迎えるに当り、自分でもおどろくほどの平静をたもって居りますが、これも一重に先生をはじめ土偶のみなさんの温かいお心に触れて、人間としての心を取戻すことが出来たからこそで、心からお礼申し上げる次第です。(中略)それでは、先生を初め土偶の皆さん、さようなら。土偶の発展をお祈りしつつ」昭和46年12月23日朝、死刑台へのぼったのである。満39年にわずかおよばないだけ生涯だった。次の辞世の歌が添えられていた。
明日の死を前にひたすら打ちつづく鼓動を指に聴きつつ眠る
ほめられしことも嬉しく六年の祈りの甲斐を見たるつひの日
世をあとにいま逝くわれに花びらを降らすか門の若き枇杷の木
死後、小原保の歌集「十三の階段」が関係者によって刊行されている。なお昭和55年に講談社から刊行された「昭和万葉集」には次の一首が収録されている。
詫びとしてこの外あらず冥福を炎の如く声に祈るなり(福島誠一)
(参考:本田靖春「遺書」)
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土偶短歌の会に掲載された小原の短歌を手に入れたいのですがどうすばいいでしょうか
投稿: | 2009年6月23日 (火) 18時18分
テレビ朝日「刑事一代」が放映されてから、この記事へのアクセス件数が多くて驚いています。だいぶん以前に書いた記事なので参考した文献が何だったのかはっきりしません。本田靖春「遺書」とあるのは、「誘拐」(ちくま文庫)の中の最後の一章だと思います。小原の短歌もそこから引用しただけで、詳しいことは知りません。テレビ番組は見逃しましたが、吉展ちゃん事件は子供こころに強烈に印象がありますが、小原保の内面のことは考えたこともなかったので、昭和万葉集にも掲載されているのを知り、驚きというか言葉に言い表せないものをいまでも感じています。
投稿: ケペル | 2009年6月23日 (火) 22時54分