ベルギー独立記念日
1831年のこの日、初代ベルギー国王、レオポルド1世が即位している。7月21日はベルギーの独立記念日。国名は先住民のケルト系ベルガエ人の名に因む。
ベルギーといえば何が思い浮かべるだろうか。小便小僧、名探偵ポアロの好物チョコレート。歴史好きの人ならアントワープ城、フランドル伯城(ゲント)、ディナン城(アルデンヌ)、ベールセル城(ブリュッセル郊外)、ガースペーク(ブリュッセル郊外)など。文学愛好家なら2人の象徴詩人の名前を思い出すだろう。メーテルリンクとベルファーレン。メーテルリンクの神秘性、ベルファーレンの土に根ざしたヒューマニズム。土くささと神秘性、それに加えるに軽快さ、こういったもののミックスされた味がベルギーではなのではないか。そのベルギーの歴史とは、一言でいえばフラマン系(:ゲルマン系でオランダ語を話す)とワロン系(ラテン系でフランス語を話す)との二つの民族の対立をはらみながらも、恵まれた工業資源によりいちはやく工業化を達成してヨーロッパの工業国となる過程であり、またそれらが彼らの歴史にさまざまのひずみを残しているといえよう。
17世紀にオランダが独立したのち、今のベルギーの地は分離してスペインの手に残った。ところがスペイン継承戦争の結果、この地方はオーストリアのハプスブルグ家にうつり、またオーストリア領となった。しかもフランス革命のときには二度も革命軍に占領されている。1798年から99年に農民暴動が起こったが弾圧された。一方ナポレオン時代には各地に近代産業の萌芽がみられる。
1815年、ウィーン会議によってネーデルランド王国(1581年に成立したネーデルランド連邦共和国の復活)が生まれるや、ベルギーはオランダに併合されてその一部となり、オラニエ家のウィレム1世が国王となった。しかし、オランダとは民族・言語・宗教および経済的利害を異にしていた上に、政府はオランダ側に代表していたため、ベルギー人は離反、独立のチャンスをねらっていた。1830年、フランスの七月革命の影響をうけて、8月に南部が暴動を起こし、オランダ兵を撃退して10月に独立を宣言し、レオポルド1世(1790-1865)が1831年7月21日、即位した。列国はその独立を承認し、さらに1839年のロンドン条約でベルギー・オランダ両国は永世中立国の地位を与えられた。なお1831年に制定された憲法は、フランス憲法を範として、国民主権主義をうたい国民の権利の保障も進歩的で、19世紀のヨーロッパ大陸型憲法の典型といわれる。同年に即位したレオポルド1世(位1831-65)はフランスとの友好関係を確立し、オランダとの民族的対立をはらみながらも、石炭をはじめとする豊富な国内の地下資源とコンゴの鉱山資源はベルギー工業を飛躍的に発展させた。(参考:長谷川博隆「ベネルックスの歴史」世界文化シリーズ 世界文化社)
(Leopld,Belgium)
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投稿: Keithaleno | 2017年7月21日 (金) 04時41分