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2022年7月 9日 (土)

平民宰相 原敬暗殺事件

  安倍晋三元首相が参院選の奈良での遊説中に銃撃を受け死亡した事件は、日本中を震撼させた。総理経験者が暗殺されたのは戦後、安倍氏が初めてのことで、戦前を数えると7人目となる。 およそ100年前の大正10年11月4日、午後7時20分、総理大臣原敬(1856-1921)が、東京駅改札口付近で中岡艮一(1903年生まれ。当時19歳)に短刀で胸を刺された。すぐに駅長室に運び込まれたが、傷は右肺部から心臓に達し、数分後に絶命した。享年65歳だった。原敬は、京都で開かれる政友会支部大会に出席するため、東京駅に来ていたが、見送りの中橋徳五郎文相(1861-1934)と談笑していたとき、凶行にあった。暗殺犯の中岡は、国鉄大塚駅運轍手で、9月28日の安田善次郎(1838-1921)を殺害した国粋主義者・朝日平吾(1890-1921)に感激し、犯行を決意したといわれる。この暗殺事件で原内閣は翌日総辞職し、高橋是清(1854-1936)が政友会総裁を継ぎ、新内閣を組織した。

    敬には実子がなく、兄の二男の原貢(1902-1983)を明治44年に養子にしていた。原貢は大正10年、慶応予科を中退して、大正10年11月に英国に留学に向かう途中で養父の死を知る。11月5日夜、マラッカ海峡を航行中の船上で電報を受け取った。帰国せずにそのまま留学せよ、という命令により翌年まで英国に滞在。昭和15年から昭和21年まで同盟通信社に勤務する。戦後は原奎一郎という筆名で小説家となる。代表的なものは「原敬日記」の編集、「ふだん着の原敬」「原敬をめぐる人びと」など。ほかに「恋愛実技」「恋愛成功法」(昭和34年)という著書もある。

   ところで暗殺犯の中岡艮一への判決は無期懲役であったが、数度の恩赦により、昭和9年に出獄している。戦後の消息については不明である。

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