ゴッホ 「麦畑とアルルの眺め」 1886年6月
ひとつぶの麦
地に落ち 死なずば
いかでか多くの 実りをえんや
みたまに たよりて
祈りをはげみ
十字架負いつつ 君に従わん
祭司長はイエスの逮捕令を出していた。イエスは、殺される日が近いことを感じていた。彼は、警戒してユダヤ人の中に入るのを避けていた。しかし、過越の祭の6日前になると、ベタニヤへ行った。
そこには、イエスが、死から甦らせたラザロが住んでいた。イエスが来ると、饗宴が設けられ、ラザロは姉妹のマルタ、マリヤとともに席につらなった。その時マリヤは高価な、純粋のナルド香油を一斤持って来て、それをイエスの足に塗って、その足を自分の髪でぬぐった。すると、いい香りが家じゅうに広がった。それを見たユダが、「もつたいないことをするものだ。それを売って得た金を貸して人に施したらいいのに」というと、イエスは、「この女のなすにまかせよ、わが葬りの日のために、これを貯えたるなり。貧しきものは常になんじらとともにおかれども、われは常におらぬなり」とたしなめた。
ユダヤ人たちは、イエスがここにいることを知って、押しかけて来た。しかし、それは、イエスを見るためではではなく、死からよみがえったラザロを見るためではなく、死からよみがえったラザロを見るためであった。そこで、祭司長らはラザロをも殺そうと相談した。ラザロがよみがえったので、イエスの信者が激増したからである。
饗宴の翌日になると多くの人びとがシュロを手にしてイエスの宿へ来て、「主の御名によって来たれる者、イスラエル王、万歳」と叫んだ。そのころ、イエスは小驢馬を手に入れて乗っていたが、これは、「なんじの王はロバの子に乗りて来たもう」という予言を成就するものであった。弟子たちは、その当時は、そのことに、気がつかなかったが、のちに、ああ、そうだったのか、と思い当る時が来た。
イエスを礼拝しようとして集まった者の中には、ギリシア人も数人したが、彼らは、ガリラヤのピリポのところへ行って、イエスに会わせてほしいと頼み込んだ。ピリポはそのことをイエスの弟子のアンデレに伝え、アンデレと一緒にイエスのところへ行って、報告した。すると、イエスは、次のように答えた。「人の子の栄光を受くべき時は来れり。一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにてありなん。もし死なば、果を結ぶべし。おのが生命を愛する者は、これを失い、この世にて、その生命を憎むものは、これを保ちて、とこしえの生命に至るべし。ひと、もしわれに事えんとせば、われに従え、わがおる処にわれに事うる者もまたおるべし。人もしわれに事うることをせば、わが父これを貴びたまわん。いまわが心騒ぐ、われ何を言うべきか。父よ、この時より、父よ。御名の栄光をあらわしたまえ」
その時天に声あり、「われすでに栄光をあらわしたり」それを聞くと、人びとは、「雷霆鳴れり」といった。
「一粒の麦」の比喩は、死は虚無に帰するのではなく、多くの実を結ぶこと、つまり一粒の麦が死ぬことによって、もたらされる実りを示唆したものである。(参考文献:ヨハネの福音書12章24節、「西洋故事物語」河出書房)
最近のコメント