歴史ヒーロー伝「髙杉晋作」
吉田松陰の松下村塾。高杉晋作は久坂玄瑞とともに松下村塾の双璧と称された。明治維新の偉業は、高杉の奇兵隊創設が無ければ、実現しなかっだろう。
♪六十余州を揺り動かして 菊を咲かせる夜明けが近い 望むところだ幕末嵐 剣をつかんで ゆくぞ高杉晋作が♪
子供のころよく聞いた歌で「ゆくぞ高杉晋作が~」のフレーズは印象的だ。YouTubeで三波春夫の歌だと分かった。ドラマは宗方勝巳主演の「高杉晋作」(1963)。
幕末動乱期、髙杉晋作の行くところ、つねに風雲を呼ぶというありさまだった。上海に行けば、相談もなしに軍艦を買いつけてくる。その始末がつけば、すぐ品川御殿山でイギリス公使館の焼打ちを指導する。かと思うと頭を剃って十年の暇を願い出る。下関で外艦を迎え撃つ命をうけると、町人百姓などの身分をとわない奇兵隊をつくる。しばらく藩主の側にあったかと思うと、もう脱藩している。髙杉晋作のとっておきの逸話を一席。下関攘夷の罪で謹慎中の晋作であったが、急遽、許されて外交交渉の矢面に立たされる羽目になった。敗戦の講和となれば、賠償金を出せ、領土をよこせといわれるにきまっている。そこをどう切り抜けるか、各国公使の前で、晋作は、「魔王のように傲然と構えていた」と、外国側の記録に書かれている。談判がすすみ、賠償金の要求が出されると、これは幕府の責任であるとして相手にせず、彦島を租借させろという問題が出ると、彼は大演説を始め、通訳を困らせた。このとき彼は、日本の歴史を初めから喋って、相手を煙に巻いてしまったのだ。こうして、藩は一文の賠償金も払わず、土地も奪われずに、難局を切り抜けることができたのである。参考:奈良本辰也「高杉晋作」(中公新書)
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