ウィル・スミス殴打事件 日米で反応が分かれる理由
3月27日、米ロサンゼルスのドルビー・シアターで開催された第94回アカデミー賞授賞式。俳優のウィル・スミスが妻のジェイダの髪型をジョークにされたことに激怒し、ステージに上がり司会者クリス・ロックを平手打ちにした事件は世界中の視聴者に衝撃を与えた。この模様は即ソーシャル・メディアによって拡散され、現在無数のジョークやミームが作られている。YouTubeでは1日で過去最高の閲覧数を記録した。主催する映画芸術科学アカデミーは30日、理事会を開きスミスに対する処分の審議を始めた。スミスの行動をめぐっては賛否両論あるが、もうビンタ騒動には飽き飽きしている人もいるかもしれない。マイケル・ベル監督は「どうでもいい。ウクライナについて話すべき」と言っているが正解かもしれない。私が気になったのは日米で大きな考え方の相違のあることである。日本人には英語のジョークや微妙なニュアンスが理解できないのでほとんどの人が誤解している。日本のSNS上の声はスミスが妻の病気を侮辱した相手にすぐに制裁を加えたことを、妻を守ったという正義感として捉えて称賛する声が多くみられる。スミス支持者は暴力はいけないことを大前提としながらも、「かっこいい」「男らしい」という意見が多い。とくに若い人は妻や恋人などを守るという意識が高い。だけど現実にはスミスのように行動に移せないので憧れ、ヒーローとしてみている。有名人がこの事件に関して言及している。「俺でも殴る」(梅沢冨美男)、「全然いいと思う」(松嶋尚美)、「俺ならビンタではなく殴る」(マイク・タイソン)とウィルの暴行を容認している。つまり大衆演劇をみるように事件をみてストレスを発散し、アカデミー賞そのものの伝統や品格は度外視している。一人の女性をめぐって男が争う様子はあたかもライオンなど闘争のように刺激的である。スミスのとった行動をアメリカでは「トクシック・マスキュウリニティ」(有害な男らしさ)という。これが男だということを公衆で証明したいという心理が働いたというのである。しどんな理屈をつけようとも暴力制裁を容認すれば社会の法の秩序は乱れる。マイク・タイソンでなくともアメリカ人は体格が良いのでパンチを容認すれば生命の危険が生ずるであろう。名誉と品格重んじるアカデミー賞を主催する当事者にとっては衆目監視で起きた暴行事件を不問にするわけにはいくまい。アメリカでは手をだしたスミスが完全に悪い、という声が多い。ミア・ファローは司会者クリスはただジョークを言っただけで、それが彼の仕事であり、暴行はやりすぎとスミスを非難している。ジム・キャリーもスタンディング・オベーションで観客が喝采したのは間違いであり、自分勝手な行為で、他の全てに影を落とした、と言っている。アメリカでは日本人が思う以上にスミスの行動を批判するのが大勢である。日本人アメリカのキリスト教的価値観が理解できないからであろう。もしスミス以外の人物であれば、おそらく逮捕されていたであろうし、日本人も非難していたであろう。忠臣蔵が好きな日本人ならではの現象だ。数多くの芸能人がコメントしているが、スミスの行動に同意した人は、若者たちに影響力のある芸人たち。何かあったら暴力に走っていいという誤ったメッセージをテレビで送ったことの責任を感じてほしい。興味深いのは武田鉄矢の指摘である。「日本人はこの手の暴力に寛容ですよね。テレビのゴールデンタイムで人殺しのドラマをやっているのは日本だけ。織田信長が好きですよね」と暗に日本人の残酷性を批判している。
ここで本件の問題点は多いが疑問点を整理してみよう。疑問1.言葉の暴力の問題。同志社女子大の影山貴彦教授は事件の背景を「言葉の暴力」としてとらえている。ロックのジョークだが「ジェイダ愛してる。GIジェーンの続編が楽しみだよ」と。侮辱とか悪質な侮辱とか声の暴力というとらえ方をしているが、ロックにそれほどの悪意が込められていたのか(ロックはジェーンの脱毛症を知らなかったという説もある)。むしろ強い女性が前向きに生きよう、とするエールとの見方もできる。スミスが激怒した背景には心因性のものがうかがえる。被害者であるべきジェイダがなぜ抗議しなかったのか疑問がのこる。事件発生時、ジェイダがロックのリアクションを見て笑っている映像がネットで拡散されている。侮辱されたかどうか真相は不明である。「ならぬ堪忍するが堪忍」。疑問2.咄嗟の事件とはいえ警備の手落ちも指摘される。警察は「すでにスミスを拘束する意向がある」とロックに伝えたが、ロックはスミス逮捕を強く拒否した。つまり2人は互いに親友であったといってよい。ビンタが素晴らしく決まるのも受け手が逃げなかったからである。吉良のように這いつくばると失敗するであろう。疑問3.日本では喧嘩両成敗という声も聞かれるが、ロックは応酬していない。つまりスミスは暴行、ロックはお咎めなし、と判定するのが妥当であろう。疑問4.アカデミー側はスミスに退出を認めたが、スミスは居残り壇上でスピーチをした。暴行の理由を「妻への愛」だとして喝采を浴びている。このことが後に非難される大きな要因の一つとなっている。アカデミーの席における一連の行動(放送禁止用語の発言など)は賞の品格を落としたもので、許しがたいものであり、スミスを拘束してでも退場させるべきだった。疑問疑問5.事件後の影響。世界中ではこの映像を多くの人々が見ている。黒人問題にも暗い影を落とした。いまだに「黒人は怖い」という偏見が根強く残っているアメリカではスミスの行動によってこれまでの差別解消への取り組みを無にするものだとする。スミスはかつて自分が育った環境にふれて暴力的な父親を「いつか殺そうと思った」と語っている。つまりビンタ事件は過去からのスミスの心因的なものによるもので、司会者の発言は凶暴性が露見する契機の一つに過ぎなかった可能性が高い。愛妻を守るという美談にすりかえるのではなく(日本では妻を暴力を振るってでも夫が守ることが称賛されすぎ)、事件の背景をしっかり調査してスミスに対して何らかの処分をすべきである。スミス=善、ロック=悪や言葉の暴力に暴力で制裁することを正当化すべきではない。結論です。アメリカにはセレブリティをコメディアンがネタにする「スタンダップコメディ」の文化があり、「許される暴力むという考え方は存在しない。スミスほどのセレブであれば悪質なジョークであっても感情を抑えることが紳士の態度として求められている。スミスは4月1日再度謝罪し、アカデミー会員を辞任することを発表した。4月8日理事会の処分が発表された。スミスの有害な行動で祝典が乱されたとして、10年間、式典への出席は認めないことが決定した。結局、日本でのウィル・スミス騒動はSNSなどで若者が大騒ぎするものの、それはラウドマイノリティ(声の大きい少数派)の空騒ぎに過ぎず、サイレントマジョリティー(声を発しない多数派)はそこまで関心もなければ、スミスを支持しているわけではなかったのではないだろうか。だが暴力の代償は大きい。ともあれ将来性ある2人の為にも本件の解決を望むものである。
(事件の余波)
アメリカではスミスの行動に批判的な人が多いと書いたが、必ずしも全員一致した意見会見ではないようだ。「マジック・マイク」出演者のチャニング・テイタムとタンディ・ニュートンがスミス事件が原因で口論となり、結局タンディが降板するという騒ぎになっている。2人がそれぞれどのような意見を主張したかはまだ明らかではない。
(追記)
冷戦後期の80年代に情報通信技術革命が起こり、経済・文化・芸術のグローバル化が一気に進展した。今年4月からは「歴史総合」という新科目がスタートしている。しかし中味は世界史と日本史の近現代史を継ぎ合わせただけで、グローバル化・国際化の真の意味が島国の日本人にとって分かりづらい。地球環境問題も大切だが、このウィル・スミス殴打事件の日米間の見解の相違も「歴史総合」を学ぶための事例研究になるであろう。
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暴力を容認しているわけでは無くジョークなら何を言ってもいいのか的な態度が日本は多いと思うけど
投稿: | 2022年4月13日 (水) 20時29分