鷗外、漱石わが子への名づけ
親ならば誰しも、子供の名づけに頭を悩ます。さまざまな思いや願いを、その名前に託そうするが故のことである。では、普段から文字や言葉に深い造詣と思い入れを持つ作家たちは、わが子にどんな名前を与えてきたのか。明治の2人の文豪鷗外と漱石の名づけについて見てみよう。ドイツ留学経験のある森鷗外は、本名の林太郎が、西洋の音節の連なりとしてなじみにくいのか、なかなか覚えてもらえなかったらしい。そんな経験から、鷗外は、子供の名前はそのまま欧米で通じやすいように西洋人の名前と音が重なるものにしようと意図した。長男は、於菟(おと→オットー)、長女・茉莉(まり→マリー)、次男・不律(≫ふりつ→フリッツ)、次女・杏奴(あんぬ→アンヌ)、三男・類(るい→ルイ)。鷗外の西洋人風の名づけは孫にまで及び、茉莉の長男も、茉莉の夫・山田珠樹の抵抗を押し切り爵(じゃく→ジャック)と名づけられている。また長男の於菟も子供を、真章(まくす→マックス)、富(とむ→トム)、礼於(れお→レオ)、樊須(はんす→ハンス)、常治(じょうじ→ジョージ)と名づけている。元祖キラキラネームとでもいうべきもので、当時一般常識とはかけ離れた名前をつけていた。
一方の夏目漱石は、わが子にどんなめずらしい名前をつけたかと期待するであろうが、いたって平凡な名前である。長女は筆子(ふでこ)。名づけの理由は、夫人の鏡子が悪筆であったことから、字が上手になるようにとの願いをこめたものだった。以下、順に、恒子、栄子、愛子、純一、伸六、雛子とふつうに読める名前である。漱石はわかりやすい名前を好んだといえる。いずれの名前もあまり古臭くはなく現代にも通用するところが、漱石の作品の普遍性と重なると思える。
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