なぜ「Z」はロシアで戦争支持のシンボルになっているのか?
いま「Z」の文字がウクライナ侵攻でロシアのプーチン側の支持のシンボルになっているという。ロシア語で使用されているキリル文字は、「Z」は異なる書き方(数字の3のような形)をする。しかし、ロシア人の大半は、欧米のアルファベットを使うアルファベットが使うラテン文字の「Z」を認識している。「Z」は分かりやすくて、力強いシンボルと理解されている。ウクライナに向かうロシア戦車の側面に「Z」の文字が使われていた。当初、この「Z」は実は数字の「2」で、2022年2月22日てを表わしているという説明もある。しかし、われわれ日本人は「Z」という文字は、あの日露戦争のZ旗を思い起こさせるものである。 日露戦争、ロシアのバルチック艦隊がシンガポール沖を通過して北上してきた。問題は日本近海におけるバルチック艦隊の航路である。朝鮮海峡を通って日本海を抜けてウラジオストックへと向うのか、太平洋を迂回して津軽海峡を抜けてウラジオストックへと向うのか。東郷平八郎は、朝鮮海峡で待機する決断を下した。参謀たちの不安は消えない。1905年5月27日、哨戒任務に出ていた信濃丸から敵艦隊発見との電報が入った。東郷は「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直チニ出動、之ヲ撃滅セントス」と電文を作成した。首席参謀の秋山真之は、その文に「天気晴朗ナレドモ波高シ」と加筆した。天気が晴れていることは敵艦を狙いやすい。そして波が高ければバルチック艦隊の砲撃の命中率が低くなるということを伝えたと言われる。そして13時55分、戦艦「三笠」のマストにZ旗が掲げられた。「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」連合艦隊主力はなんと敵前で横腹を見せるかたちで、相手の進路をさえぎるT字戦法にでた。そして主力以外の艦は、南下して敵艦隊の後尾を突いた。まさに、日本海軍の圧勝であった。「Z」という1文字は不思議な文字である。
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投稿: ChrisNeuRa | 2017年5月27日 (土) 04時59分