笑顔の写真
古くから「笑う門には福来る」という。日本人はいつも笑顔を絶やさない国民性であったことは、幕末明治初期の外国人が記録している。国立国会図書館の電子図書館サービス「近代日本人の肖像」には政治家、軍人、実業家、学者、芸術家等350人の肖像写真がある。盛装で正面のポートレートが多い。ケペルが問題とするのは、表情である。明治の肖像写真で笑顔の写真をみたことがない。私的なスナップがあれば、もちろん男子も大笑していたであろうが、写真師が撮影したものであれば、笑顔の写真は希少であろう。かすかな微笑み(?)のようにみえるのが、佐佐木高行(1830-1910)の肖像写真である。これとても柔和な表情というべきもので、笑っているのではないだろう。なにもアインシュタインの舌を出した写真を探しているのではない。いつ頃から写真にも自然な表情というのが認められるようになったのであろうか。志賀直哉や武者小路実篤などの青年、壮年期をみても一様に堅い表情が多い。それは学校の卒業記念写真にもいえることである。中央に教師が座り、前列、中列、後列と生徒が無表情に並んでいる。昭和50年ころまではやはり笑っている写真はないだろう。同じ時期のアメリカのハイスクールの写真をみると、みんなおもいおもいの表情で写っている。卒業写真には集合写真よりも、個人の写真が重視されている。個性と自由を重んじる気風は昔からだった。やはり日本人は喜怒哀楽を表情にださないことが美徳とされたのであろう。アメリカのハイスクールの卒業写真をみるとみんな笑顔である。最近のプロ野球選手の名鑑をみるとみな満面の笑顔である(2006年の日本スポーツ出版社の選手名鑑がはじめと言う)。では「笑う写真」の起源はいつだろう。最近の研究によると、牧野元次郎が1911年にニコニコ倶楽部を創設して雑誌「ニコニコ」で著名人の笑顔の写真を掲載し、ニコニコ主義を唱えたので「笑う写真」が全国で普及したいわれる(岩井茂樹「笑う写真」の誕生 日本研究61,2020年11月)
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