串刺し公ヴラド・ツェベシュ
吸血鬼ドラキュラのモデルは、15世紀後半のワラキュラ公国(現ルーマニア南部)の君主ヴラド・ツェべシュ・ドゥラクルとされる。 ハンガリーの将軍フニャディ・ヤーノシュ(1387頃-1456)は、オスマントルコの大軍をベオグラードの戦い(1456)で破り、侵入を阻止したが、疫病で死亡した。そのころワラキアの君主になったヴラド・ツェぺシュは、首都に貴族たちを招集して、自分の父親と兄の暗殺に加担した貴族たちを串刺しの刑に処した。そして、杭に刺されて悶絶する貴族たちの姿を眺めながら祝宴を開いたという。処刑して血を好んだことから、東欧の吸血鬼伝説と結びつけられて、ドラキュラ伝説が生まれた。本当はオスマントルコの侵略からルーマニアを守り、独立のために戦った英雄だった。
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