奈良六大寺散策
法隆寺、薬師寺、興福寺、東大寺、唐招提寺、西大寺を奈良六大寺と称する。これとは別に歴史的にみると、むかし諸国から集った学問僧が仏教の哲理を考究する学問寺を南都七大寺、法隆寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、東大寺、西大寺と称した。
奈良の寺は、堂の前面を開け放って、堂の屋外正面からこれを礼拝した。人間は堂の内部に立ち入ることはしなかった。奈良の寺が、たとえ堂内に入ることがあっても靴を脱ぐ必要がないのはそのような古い様式を残しているからである。京都に見られる中世以降の寺には、畳敷きの礼拝用の大広間の作られているものがある。以下、奈良六大寺の創建のみ記す。
法隆寺 7世紀はじめに聖徳太子の父用明天皇の勅願で、推古天皇の協力を得て聖徳太子が創建したとされる。日本書紀に天智9年(670)に全焼したとある。昭和14年の発掘調査で、今の若草伽藍が前身とされる。
薬師寺 天武天皇が680年に、皇后の病気平癒を祈って創建した寺を、都が藤原京から平城京へ遷された際に、現在地へ移建したものといわれるが、寺籍と由緒を引き継いだだけという説が有力である。
興福寺 平城京建設とともに藤原不比等はいち早くここに自分たちの寺を移した。多くの荘園を所有して南都七大寺の一つに数えられた。法相宗大本山。
東大寺 聖武天皇の天平13年、諸国に国分寺建立の詔が発せられ、大和の国分寺兼総国分寺として造営された。華厳宗大本山。
唐招提寺 8世紀半ばに来日した中国の僧鑑真が、新田部親王の旧宅の地に建立した。天平宝字3年(759)のことで、当初は唐律招提といった。のちに官位の寺となって唐招提寺となった。律宗総本山である。
西大寺 天平神護元年(765)、称徳天皇の勅願寺として建立された南都七大寺の一つ。その後、戦国時代に焼失したが、宝暦2年(1752)に本堂が再建された。真言律宗総本山である。
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