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2021年12月23日 (木)

ゴッホ耳切り事件

168651_1457627699_2_450    フランス西部ブルターニュにあるポン・タヴァンは、人口500人ほどの小さな村だったが、1886年にポール・ゴーギャン(1848-1903)が最初に訪れたころには、すでに画家たちにはよく知られた保養地となっていた。ゴーギャンはこの町で仕事に熱中するとともに、ボヘミアンのような生活を送ったが、ほかの芸術家たちは彼の強い性格を尊敬していた。ゴーギャンの周囲に集まった若い画家たち、エミール・ベルナール(1868-1941)、ポール・セリュジェ(1863-1927)、クーノ・アミエ(1868-1961)、アルマン・セガン(1869-1903)らは後にポン・タヴァン派と呼ばれ、20世紀美術を予告するような様々な絵画制作上の実験を行なった。

   1888年10月、ゴーギャンは2年ばかり前にパリで会ったことのあるフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)からの招きで、南フランスのアルルで共同生活をすることになった。ゴーギャン40歳、ゴッホ35歳。最初の数週間の共同生活は順調だった。しかし、共同生活するには、2人の個性はあまりにも違いすぎた。見たものしか描けないゴッホに対して、ゴーギャンは想像力を駆使して表現した。また、画材の使い方や、お金のやりくりなどで、乱雑さが目立つゴッホは、神経質で几帳面なゴーギャンに、何度もその弱点を指摘されている。そして1888年12月23日、クリスマスをひかえた町を歩くゴーギャンを、突然かみそりを持ったゴッホが追いかけてきた。驚いたゴーギャンが、それでも厳しい視線でにらみつけると、ゴッホは何もできず、そのままうなだれて走り去る。翌日になって、ゴーギャンが家に戻ってみると、ゴッホは血まみれになってシーツにくるまっていた。この「耳切り事件」によって、ゴーギャンとゴッホの2ヵ月間の共同生活は終わった。パリに戻ったゴーギャンは、1891年4月1日、マルセイユから船出してタヒチに向かった。(Paul Gauguin,Pont-Aven)

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コメント

おもちゃジジィは化学業界にいって界面摩擦現象の研究をしているらしいが、日本自動車工業会の恥さらしにいまさらなにができる。

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