日露戦争沙河(さか)会戦起こる
明治37年8月の遼陽会戦で、日本は橘周大中佐が壮絶な死を遂げた。そして10月9日、ロシア軍は本渓湖の日本軍に対して攻撃を開始し、沙河の会戦の火蓋は切って落とされた。圧倒的なロシア軍の前に、日本軍は死傷者2万余をだす消耗戦となる。当時、外国では沙河会戦は日本の敗北と伝えられていた。
« ウガンダ独立記念日 | トップページ | 西域とシルクロード »
「今日は何の日」カテゴリの記事
- 琉球処分(2022.03.27)
- 日露戦争沙河(さか)会戦起こる(2021.10.09)
- 有無(ありなし)の日(2020.05.25)
- ドレミの日(2021.06.24)
- マリア・ルス号事件(2019.06.07)
コメント