孫文と辛亥革命
本日は中華人民共和国の国慶節、台湾の国慶日。1911年のこの日に発生した武昌起義を記念している。 「中国革命の父」孫文(1866-1925)が貧しい家ながら、ハワイ遊学や香港の医学校に学ぶことができたのは、兄の孫眉のおかげである。兄は華僑としてハワイで大成功したのである。孫文の民族意識や革命意識は、このハワイで目覚めた。1897年、孫文はカナダを経て日本にやってきた。横浜で宮崎滔天と出会う。孫文は日本を革命の根拠地とした。1905年、中国革命同盟会は頭山満が提供した赤坂のある民家の2階で発会となった。1911年10月10日、武昌
漢口・漢陽など各地で革命軍が蜂起し、辛亥革命が起こる。孫文は、1912年に中華民国臨時大総統になったが袁世凱に譲歩。1924年、孫文は最後に日本を訪問して、神戸で「大アジア主義」を日本の民衆に訴えた。「覇道の文化と王道の文化と結局いずれが政治人道に有益であるか、いずれが民族および国家に有益であるかということは諸君おのずから了解されることでありましょう。…今後日本が世界の文化に対し、西洋覇道の狗となるか、東洋王道の干城となるか、それは日本国民の慎重に考慮すべきことであります」この演説で孫文は、近代化に成功してアジアの強国に成長した日本が、欧米帝国主義列強と同じ道を、それも欧米勢力の手先となってアジアを侵略する国になるのか、それともアジア諸国の立場に立って欧米列強に抵抗する旗手となるのかを慎重に考慮すべきであると訴えたのである。彼は、最後まで、日本を、日本の民衆を愛していたのだ。
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