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2021年10月 7日 (木)

ヨーロッパ中世の大学と学問

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中世イタリアの大学の講義,1523年の木版画

   12世紀にはボローニャ、パリ、サレルノ、オックスフォードに大学ができた。なかでも法律学生の集りに始まった北イタリアのボローニャ大学、神学教授の団体を中核として成立したパリ大学はとりわけ有名である。13世紀になるとナポリやケンブリッジやパドヴァやローマなど、ヨーロッパ各地に大学が創設される。1386年にはドイツ最初の大学・ハイデルベルク大学が開学。12世紀から、アラビア語の多くの書物がラテン語に翻訳されるようになった。バースのアデラードがユークリッドの「原論」全15巻をアラビア語からラテン訳した。ほかにドミンゴ・グンディサルポ、カリンティアのヘルマン、ヴェネツィアのジャコモ、へリンクス・アリスティップス、クレモナのゲラルドらが翻訳活動をした。翻訳されたのは最初は数学や化学、光学、医学など、主に科学や技術に関する書物であったが、やがてその思想的背景でもアリストテレスの気象学や自然学、形而上学などが、直接ギリシア語から訳されるようになった。大学とは、翻訳を通じてもたらされたこの膨大な新しい学問を研究・発展させるための機関であった。アリストテレス「自然学」の注を書いたロバート・グロステスト(1168-1253)とその弟子ロジャー・ベーコン(1219-1292)は技術と科学を結びつけた点で注目される。

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