義朝はなぜ「ヨシトモ」か?
1192年のこの日、源頼朝が征夷大将軍に就いた。頼朝(よりとも)の父が義朝(よしとも)である。平治の乱で敗北し、尾張国で家人に裏切られ謀殺される。なぜ「朝」を「とも」と読むのか。名乗りはなかなか学者でも説明がつかないらしい。為朝、義朝、頼朝、実朝。源氏だけで平家には「朝」の字がつく人物は見当たらない。
わからないのは「朝(とも)」だけではない。もっとも人名に使われる名乗りは「和(かず)」だ。関孝和(せきたかかず)という江戸の和算家がいた。いまでは「和夫」「和雄」「和郎」「和子」などありふれた名である。だが「和」を「かず」と読ませるのは面白い。「和(わ)」とは2つ以上の数字を合計した数(かず)である。ところで関孝和は海外でも広く知られているが「Seki Kowa」である。三上義夫が英文で「こうわ」と表記したためである。(9月24日)
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