古事記1300年
現存する古事記の諸伝本のうち最古のものは、応安4年から5年(1371~1372)に僧・賢瑜によって書写された真福本古事記三帖である。古事記道果本・道祥本・春瑜本などの諸本は、この真福寺本の系統をひく写本であるといわれている。
今日の真福寺は岐阜県羽鳥市にあるが、徳川家康の時代に真福寺の一院である宝生院が名古屋城下に移転した際、古事記をはじめとする古典籍の殆どが、大須に移転した。現在、大須観音は正式には北野山真福寺宝生院と称し、真福寺文庫に古事記三帖(国宝)があるが、実際には名古屋市博物館に受託資料として保存されている。
古事記は稗田阿礼に命じて暗記させ、それを太安万侶が撰録したといわれる。そりより8年後に完成した日本書紀は官製の史書の最初とされている。古事記は史書であるのか、文学書なのかなかなか判別がつかない。国生み、出雲平定と国譲り、天孫降臨、海幸彦・山幸彦など有名な物語があるが、古事記の後半部分は簡単な記述になって、最後を締めくくる天皇はだれか。豊御食炊屋比売命(とよみけかしきやひめのみこと)、すなわち推古天皇で終わっている。神武天皇から現在まで、天皇家が断絶せずに永遠に統治してきたとする「万世一系」の史観は幕末から明治にかけて強化されたものである。
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