目安箱
徳川吉宗の享保の改革のとき、一般庶民の幕政についての意見をもとめるために評定所前に設置された投書箱。1721年8月2日から、和田倉御門近くの評定所前に毎月2日、11日、21日の月3回目安箱を設置した。設置の目的は幕政改革にあたり広く政策上の有益な意見を求めることにあったが、内容の大半は役人の不正を訴えるものが多かった。採用された例としては、享保6年12月に、漢方医の小川笙船が、貧困な病人を救うための施薬院の設置を嘆願する投書を行った。吉宗はこれを採用し、小石川療養所を設けた。
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