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2021年8月23日 (月)

悲劇の会津若松城

Photo_5    1868年のこの日、会津藩の白虎隊が自刃した。幕末、最後の会津藩主が松平容保(1835-1893)である。この容保が、1862年12月、京都守護職として、1000人の藩兵を率い、京都に乗り込んだことが、その後の会津戦争の直接的契機となった。1868年、幕末維新の動乱は最終局面を迎えていた。8月、会津若松城(鶴ヶ城)は新政府軍の猛攻撃を受けた。8月22日、白虎隊343名が出撃した。その後、士中二番隊士、日向内記(1826-1885)率いる37名らが戸の口原へ援軍に向う。だが20名の隊士がはぐれてしまった。篠田儀三郎(1852-1868)らは、独自で進軍を決める。その途中、飯盛山から、鶴ヶ丘城が焼けているのが見えた。これを落城の兵火と思い、絶望した儀三郎らは自害してしまった。飯沼貞吉(画像、1854-1931)は足軽印出新蔵の妻ハツに救助され、蘇生し、その状況が知られることになる。飯沼は維新後、逓信省の技師となり、精勤。白虎隊の悲劇を後世に伝えた。(8月23日、参考:早乙女貢「敗者から見た明治維新 松平容保と新選組」)

 

 

 

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 晩年の松平容保

 

 

 

 

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