すべての道はローマに通ず
ローマ帝国は、五賢帝の時代(ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス・アントニヌス)末期にいたるまで平和を享受し、「ローマの平和」(パクス・ロマーナ)と呼ばれた。五賢帝は財政改革をおこない、私生活を簡素にする反面では、公共事業をさかんにし、救貧事業などに力をつくした。その繁栄の絶頂はトラヤヌス帝のときで、領土はドナウ川の向こう岸のダキアを属領として、帝国の領土は最大となった。北はブリタニアから南はサハラ砂漠北端、東はメソポタミアから西は大西洋岸までの、アジア・アフリカ・ヨーロッパの3大陸にまたがり、地中海を内海、「我らの海」とする大帝国で、総人口は5000万人から6000万人であったと推定される。
陸海の交通の安全が確保され、ローマ道は帝国中に張りめぐらされ、ギリシア・ローマの融合した都市的文化がゆきわたった。東方ではギリシア語が広く使われていたが、帝国政府はラテン語の普及に努めた。当時、帝国の東のはしから西のはしへ行く旅人はこの2つの言語を使えれば不自由せずに、またいたるところで同じような都市の生活を味わいながら旅行できただろうといわれる。
17世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌ「寓話」に「すべての道はローマに通ず」という格言(英語では All roads lead to Rome.)がある。かつてローマ帝国の全盛期には世界各地からの道がローマに通じていたことから、転じて、どんな方法をとっても同じ目的のところに達すること、真理は一つであることのたとえとして使用されたものである。
ちなみにローマ帝国の属州と辺境の地名を調べると、ゲルマニア、ブリタンニア、ルシタニア、アクイタニア、ヒスパニア、ガリア、ダルマチア、ダキア、マウレタニア、ルティア、ラエティア、マッサリア(マッシリア)、ルテティア、トラキア、アシア、アンティオキア、アレクサンドリア、アルメニア、モエシア、バレンシア、ニコメディア、カッパドキア、カエサレア、ガラティアなどすべて語尾が「ア」である。これは、ギリシア語、ラテン語、ロマンス語では女性名詞の語尾は「ア(-a)」であり、地名は女性名詞によるものである。(参考:「詳説世界史研究」山川出版社)
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