「五輪」の名付け親
東京オリンピック2020は1年遅れで終わった。国際オリンピック委員会(IOC)所属の205の国と地域のオリンピック委員会所属チームと、2016リオ五輪から参加している難民チームが出場し、全33競技で339個の金メダルを競う。だが世論の関心は57年前のように盛り上がらなかったように感ぜられる。「♪ハアーあの日 ローマでながめた月は」(古賀政男作曲の「東京五輪音頭」がオリンピックムードを盛り上げた。宮田隆(1913-1982)というさほど世に知られていない作詞家によるものである。ちなみにオリンピックのことを「五輪」と表記するようになったのは1936年からである。当時、読売新聞運動部記者だった川本信正 1907-1996)は、「オリンピック」が新聞の見出しに掲載する際に、6文字で長いためねどうにか略せないかと考えた。川本は、ふとオリンピックの旗が5大陸をかたどったものであることから、「五輪」という言葉を思いついた。「五輪」という言葉が初めて登場したのはその年の7月25日の読売新聞夕刊からである。である。本人の回顧談によれば、実はは宮本武蔵の「五輪書」から思いついたと回想している。
1964年秋頃「ウルトラ」という言葉が大流行した。「ウルトラ」とは本来はフランス語の「ultramontane」。つまり「山の向こう」という意味。フランスからみてアルプスの向こう、つまりローマ教皇庁の立場を示す。
中世以来、教皇と王は司教以下の僧侶の任免権その他をめぐって、たえず争いをつづけたが、その際、ローマ教会至上主義の立場をとるものをこう呼んだ。以来、ウルトラというと、極端なこと、過激なことをさし、「超…」という意味で使われるようになった。
19世紀、フランスにおいて「ウルトラ・ロイヤリスト」と呼ばれる一派が生じ、「王よりもさらに右」だといわれた。
日本では、昭和39年の東京オリンピックの体操競技で山下治廣選手が跳馬で最高難度の「きりもみ降り」という難技を考案し、「山下跳び」として「ウルトラC」という語が大流行した。
昭和41年から始まった円谷プロのウルトラシリーズ第1作「ウルトラQ」、同年第2作「ウルトラマン」、昭和42年の第3作「ウルトラセブン」で「ウルトラ」という言葉は日本語になじみのある外来語となっている。(参考:「故事名言由来ことわざ総解説」自由国民社)
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