リストと七月革命
フランツ・リストは1811年ハンガリーのドボリアン(現在オーストリア領のライディング)に生れた。父アダムは、ハイドンにゆかりの深いエステルハージー公家の土地管理人を勤め、楽才もあった。リストは、幼少の頃から父の手によって音楽教育を授けられ、早くからすばらしい才能を示した。17歳の時、ピアノの弟子で、フランスの商工大臣サン・クリクの令嬢カロリーヌと愛し合ったが、カロリーヌの父に仲を引き裂かれる。リストは心に深い痛手を負い、ステージから遠ざかった。「リストは死んだ」という噂まで流れた。リストは病床で宗教書や哲学書、それに恋愛小説まで読みふけり、いくぶん気力を取り戻した。1830年の夏がきた。リストの病気中にパリは暗い雰囲気に包まれていた。ウィーン会議のあとに復活したブルボン王朝のシャルル10世は反動的な政治を行なっていた。その結果、7月のパリは「保守党を倒せ」という群衆の叫び声が騒然とあふれていた。7月27日の正午、リストは窓から、パリ市庁に向かって走る群衆とはためく三色旗を見た。ノートルダム大聖堂の鐘が鳴り渡り、小銃の音が街路に交錯した。29日にはルーヴル宮が市民たちに占領された。このようすを聞いたリストは何ヶ月ぶりかでピアノの前に座り、革命の指導者ラファイエットに捧げる「革命交響曲」の草稿を書き始めた。この曲はスケッチのままでオーケストレーションされなかったが、リストはこれで失恋の痛手から立ち直った。しかし革命は民衆の期待した共和党はおさえられオルレアン公ルイ・フィリップが王位についた。(Franz Liszt,Hungary)
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ラ・カンパネラ、いいですよね。弾くのは難度が高いけど…
投稿: | 2014年7月27日 (日) 21時12分