ロシアの歴史
ユーラシア大陸の北半分をしめるロシア連邦は、面積は日本の約45倍もある世界最大の国である。1990年代初めまで、ソビエト社会主義共和国として1つの国であった。しかし、社会主義の失敗から、15の国に分裂した。新しい道を歩むロシア連邦の歴史をみてみよう。
862年、ルスの首長リューリクがラドガにノブゴロド王国を建てる。882年、ノヴゴロド王国の摂政オレーグは、南下してキエフを奪取し、南北を統一してキエフ公国を建てる。政治の中心地はキエフに移ったが、ノブゴロドは商業・工業が発達し、キエフ大公国から独立しノブゴロド公国へと発展した。オレーグの死後、イーゴリはコンスタンティノープルに2度遠征したが失敗した。988年キエフ大公ウラジーミル1世は、ビザンツ皇帝の妹アンナと結婚してギリシア正教を国教と定め、以後ビザンツ文化が流入した。13世紀、ロシアはモンゴル人の支配下に入る。1240年、モンゴル軍のバトゥがキエフを攻略し、キエフ大公国が滅亡。キプチャク汗国は1480年まで続く。リューリク朝はイーゴリの子孫によって、キエフ公国、モスクワ大公国、ロシア帝国と受け継がれて1598年まで続いた。ノブゴロド公国は13世紀アレクサンドル・ネフスキーが現れ繁栄する。1240年スウェーデン軍をネヴァ河畔の戦いで、1242年ドイツ騎士団をチュド湖畔で破る。ノブゴロド公国は1478年モスクワ大公国によって滅ぼされる。1547年イヴァン4世、ツァーリと称する。1613年ロマノフ朝が成立する。ピョートル大帝の時代、西欧の先進的文化、技術を導入してロシアの近代化をはかる。エカチェリーナ2世の時代に、黒海のクリミア半島を占領してセバストポリ軍港を築くなど、地中海への南下政策の拠点をきずいた。
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