天安門事件と鄧麗君
1989年のこの日、北京市で天安門事件が起こった。民主化を求めて数万人の市民が集結していた。軍が戦車・装甲車で出動し武力鎮圧し数千人の死傷者が出た。香港や台湾では激しい事件への抗議が起きたが、なかでも台湾出身のアジアの歌姫・テレサ・テン(鄧麗君)の行動が注目される。テレサが歌う「何日君再来」は1980年になって、中国大陸で音楽テープによって爆発的に広まっていた。共産党当局は彼女の歌を不健全な「黄色歌曲」(ピンク歌曲)として禁止していたが、人々はひそかにこの歌を聴いていた。これは1983年末まで続けられた。やがて鄧小平の開放政策への転換によって、テレサの歌も解除されたが、天安門事件によって北京コンサートは中止となる。テレサは天安門事件後、中国の自由と民主化を願っていた。「わたしはチャイニーズです」と述べた後、自由を語りはじめた。彼女の歌声は今も、台湾、香港、中国、韓国、フィリピン、日本、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ベトナム、タイなどアジア各地で流れている。20世紀最高のアジアの歌姫と呼ばれている。代表曲は日本語の「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」のほか、中国語の代表曲「千言萬語」「甜蜜蜜」「小城故事」「月亮代表我的心」、アルバム「淡淡幽情」。アン・ルイスの「グッバイ・マイ・ラブ」のカバー曲「再見我的愛人」もヒットした。生前テレサはこんなことを言った「わたしには3つのことが出来なかったことがある。1つは高い学歴をもてなかった、1つは結婚できなかった、そして最後の1つは中国で歌えなかったこと。」1967年「鄧麗君之歌第一集」は二種類あり、「何日君再來」を改題した「幾時称回來」が入っているのと、「女鯨兒園」に差し替えたもの。「何日君再來」は文化統制下の台湾で禁歌だった。生涯、テレサは「何日君再來」を4回レコーディングしている。母が歌っていたというこの歌にテレサはどのような思いを重ねたのであろうか。(中薗英助「何日君再来物語」 河出書房新社) Dang Le Quan 6月4日
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