漱石と羊羹
夏目漱石が英国から帰国し大学で教鞭をとって、通称「猫の家」(文京区向ヶ丘)に住んでいたころの話である。漱石は甘党で知られる。その甘党ぶりは滑稽味があり、「君のくれた菓子は僕が大概くつて仕舞った。小供も食べました」(明治38年4月13日、森巻吉宛書簡)とある。数ある菓子の中でも特に羊羹を愛した。「余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好だ。別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける工合は、どう見ても一個の美術品だ」(草枕)と羊羹の美術性を述べている。だがこんな逸話も伝わる。甘党のために漱石は糖尿病を患うようになった。鏡子は漱石の体調を気遣って、好物の羊羹を隠した。すると漱石は、いつものように羊羹が入っているはずの戸棚を必死に探し続けた。その様子を見かねた四女の愛子が在り処を教えてやると、漱石は娘を大いに褒め、上機嫌で羊羹を頬張ったという。
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甘党の男は気難しいか、変わり者が多いと聞いた。
漱石は変わり者で気難しかった男だが・・
酒はどうだったのか。両刀つかいのような気がするが・・
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年1月23日 (水) 23時18分