キュロス大王と都パサルガダエ
メディアの王アステュアゲスにはマンダネという娘がいた。あるとき王は、マンダネが放尿し、エクバタナの都を洪水にし、さらに全アジアが洪水になる夢をみた。心配した王は、夢占い師に調べさせたところ、不吉な前兆であるといい、王は娘を従属国ペルシアの小領主であったカンビュセス1世に嫁がせた。こうしてマンダネが生んだ子がのちのキュロス2世(600BC-530BC)である。占い師はさらにマンダネの生れた子によつてメディアが滅ぼされると予言し、恐怖に襲われた王は忠臣ハルパゴスに赤子を殺すように命じた。しかし、ハルパルゴスは赤子を殺すのをためらい、牛飼いの夫婦に預けた。キュロスが10歳になった頃、アステュアデスの心も変わっていた。キュロスは本当の両親のもとで育てられるようになった。やがて成長したキュロスは、ペルシア人の集会を催した。そして「わたしの言うことを聞いて自由の身になるのだ」とみなを説得した。キュロス2世はメディア、新バビロニアを征服し、ペルシアを統一した。イラン南部の都パサルガダエにはキュロス大王の墓が残っている。 この墓には、アレキサンダーも来て、キロス大王の遺体を見たと伝えられる。アレキサンダーはひそかにキュロス大王を尊敬していたので、墓を破壊することはなかったのだそうだ。世界史で大王といわれる君主はざらにはいない。アレキサンダー大王、アルフレッド大王、カール大帝、フリードリッヒ大王など数人にすぎない。キュロス2世がキュロス大王Cyrus the Greatと尊称されるのは、前538年、ユダヤ人をバビロン捕囚から解放した寛容な王であるからであろう。( keyword;CyrusⅡ,Asuteyuagesu,Mandane,CambysesⅠ,Pasargadae)
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