世界史徹底研究(古代文明)
かつての歴史授業では必ず四大文明が説明された(田中文治「中学歴史の精解と資料」1977年)
紀元前5000年紀以降、エジプト・メソポタミア・インダス・黄河の各文明が誕生、世界史では四大文明と呼んでいる。四大文明は、いずれも大河流域のデルタ地帯で灌漑農耕国家を成立させ、都市文明を発達させた。その言葉の起源は清の梁啓超の詩(「二十世紀太平洋歌」1900年)に見えるが、現在、四大文明史観はトインビーなどにより世界の歴史学会では完全に否定されており、中国・韓国・日本のみで学校の歴史用語で教えられ、欧米諸国には存在しない。つまり古代文明は4つに限定されたものではなく、前3千年紀の後半には、すでに南米アンデス地帯の一部に、オリエントの影響をうけない、しかし本質的にはあまり差異のない原始農耕文化がおこっており、神殿をもつ集落の遺跡、カラル遺蹟が発見されている。
西アジア「肥沃な三日月地帯」からは前9000年ころのムギ・マメの化石が大量に出土している。中国においては華北(黄河流域)のアワ・キビと華中(長江の中・下流域)のイネが生態系の違いを反映しているが、イネの長江文明などの農耕の始まりが多くの遺跡によって明らかになりつつある。1996年には成都黄河文明よりも古い前5000年の都市国家(竜馬宝墩古遺跡)が発見されている。世界の主要な穀物はムギとイネとトウモロコシである。前7000年ころウィスコンシン氷期がはじまり、古代アジア人はベーリング海峡をわたってアメリカに進出し、南下した古インデォはメキシコやペルーに定住し、前2000年から前1500年ころトウモロコシをはじめジャガイモ、サツマイモ、カボチャ、トマトなどの栽培が起こる。とくにオルメカ人は前1200年ころ、南米に石像をはじめ神殿などの初期国家を形成していった。アメリカの文化人類学者エルマン・サーヴィス(1915-1996)の初期国家の定義によれば、集団で生活し「人口規模が2万人以上であること」とある。マイケル・コーは調査の結果、サン・ロレンソの遺跡を25000人規模の都市と推定している。とくに中国の黄河文明に関しては、一つに括ることを誤りとしなければならない。長江下流域の河姆渡文化や良渚文化など、黄河流域だけに限らない。近年、杉龍崗遺蹟(湖南省常徳市)から9000年前の米粒が発見された。(世界史)
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