ラオコーンと兵馬俑
ロンドン大学東洋アフリカ研究室のニッコール教授は、秦始皇帝は古代ギリシア彫刻の巨像を観て衝撃を受け、それと同じものを青銅で造らせたといっている。始皇帝以前の中国には等身大の彫像は存在しなかった。つまり古代ギリシア文明との接触により、あの兵馬俑にある8000体もの像が造られたと説いている。前4世紀アレクサンドロスの遠征によって、大勢のギリシア人が移住し、西北インドのガンダーラ地方ではヘレニズム風の仏像が作られた。
様式とは何か。民族や時代がさまざまな様式を生み出すが、そのスタイルは模倣され伝播する。ギリシア様式、ヘレニズム様式、ローマ様式、これらの様式には明白な移り変わりが確認できる。ヴァチカン博物館にあるラオコーン像。この像の制作の年代については、紀元前160年から紀元後20年までと考えられている。この作品はオリジナルな彫像なのか、他の彫像の模倣なのかも不明である。紀元前200年にペルガモン王国で制作された銅像がオリジナルであるとする意見もある。秦始皇兵馬俑の制作時期は紀元前221年から206年の間と推測されるので同時代の作品とみなすことも可能である。人類の造形への様式や美意識は、地域を超えても影響するものなのかもしれない。等身大の像もさることながら、表現の写実性など共通点がうかがえる。
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始皇帝時代とギリシャ文明の交流。様式の類似性・・・
写実と様式・・。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2015年8月11日 (火) 13時12分