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2021年5月 4日 (火)

縄文期から弥生期へ

Photo 勝坂式縄文土器

 

    朝日新聞しつもん!ドラえもん「田んぼで米づくりがはじまった弥生時代。どうして弥生とよばれるようになったのかな」答えは、「この時代の土器がでた地名から」もちろん知っていた。ではなぜ「縄文は大森ではないのか?」と考える。ふつう考古学では初めて遺物が出土した地名を命名されることが多い。オーリニャック、グラヴェット、マドレーヌ、ソリュートレ、タルドノワ、ムスティエなどみなフランスの地名である。「弥生」は東京都文京区にある弥生町。縄文土器の発見者はエドワード・モース(1838-1925)である。彼は発見から2年後の1879年に刊行した本の中で「cord marked pottery」としている。1886年に白井光太郎(1863-1932)が「縄紋土器」とし、1888年に神田孝平が「縄文土器」とした。しかし坪井正五郎(1863-1913)は「貝塚土器」と名称を使い、「貝塚土器」のほうが一般的であった。浜田耕作(1881-1938)が「縄紋土器」を使った。今日では、「弥生土器」と対比するため「縄文土器」「縄文文化」という語が用いられる。

 狩猟漁撈採集を生業とする縄文時代は竪穴式住居で暮らし、多くの土地では、ある程度生活すると資源が枯渇します。食べるものがなくなると、別の土地に移動して、しばらくしてまた枯渇したら元の土地に戻ってくる・・・というサイクルを繰り返していました。しかし石川県の真脇遺跡では、縄文時代前期の約6000年前から2500年前より、約4000年にわたって人々が同じ土地で生活していたことがわかっています。そして集団漁業によりイルカを食べていたそうです。また国内最大級の環状木柱列が発掘され祭祀をもった文明と考えられる。

 

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