上野に日本初の近代図書館つくられる(明治事物起源)
福沢諭吉が明治2年に著した「西洋事情」の中で、欧米の図書館(ビブリオテーキ)事情を紹介したのが、わが国に図書館を認識せしめた始めとされる。しかし、すでに万延元年遣米使節の一行がニューヨークのアスター図書館を訪ねており、そのときの模様は、副使の村垣淡路守範正および御勘定組頭の森田岡太郎の日記に記されている。
明治5年、文部省出仕、市川清流は「書籍館(しょじゃくかん)」設置の重要性を上申した。同年4月2日(正確な日付は不詳)、明治政府は接収していた徳川家の紅葉山文庫と昌平黌の文庫を文部省所管の「書籍館」として開設したのが、日本近代図書館の始まりである。しかし、これらの所管官庁や場所は幾たびと変わり、元の湯島にもどり、「東京書籍館」として改称した。しかし西南の役による財政難のため、これらの整備計画は中止され、東京府に移管して、「東京府書籍館」と改められた。明治13年、文部省に返り、「東京図書館」と改めた。これが「図書館」という名称の始まりであるが、当時は「としょかん」と呼ばず、「ずしょかん」と呼んでいた。江戸期の「図書寮」など「図書(ずしょ)」の名残りであろうか。明治5年には京都に「京都集書院」が開設、湯浅次郎が群馬に「便覧社」を創設、渡辺熊次郎が函館に新聞縦覧所を創設するなど各地にさまざまな活動がおきた。明治7年、八戸書籍縦覧所創設。明治9年には大阪、浦和で府県立の書籍館が開設されている。東京図書館はその後、明治18年に上野公園に移転し、「上野図書館」の名で親しまれる。
子ども文庫のはじまりは、明治39年に東京で児童文学者の竹貫佳水(竹貫直人、1875-1922)によって開設された「竹貫少年図書館」である。
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