聖徳太子怨霊伝説
670年のこの日、法隆寺は落雷により全焼した。かつて607年に聖徳太子が創建した法隆寺が、再建されたものか学界で論議されたが1939年に西院伽藍の南東部から火災に遭ったとみられる伽藍跡が発見され、これにより現在では法隆寺は711年頃に藤原氏によって再建されたと考えられている。藤原氏が再建に尽くしたのは、かつて鎌足が聖徳太子の息子である山背大兄王の命を蘇我入鹿に殺させ、中大兄皇子を利用して、乙巳の変を成功させたという謀略があったからである。梅原猛は藤原不比等が聖徳太子一族の怨霊を恐れて、法隆寺を再建したのではないかと推論している。(「隠された十字架」)。しかし737年、藤原四兄弟が相次いで病死すると、太子怨霊の崇りであると恐れ、太子一族を鎮魂するため、夢殿のある東院を再建した。つまり法隆寺は怨霊封じ込めのための寺だった。(4月30日)
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聖徳太子伝説、怨霊伝説ですね。(*^m^)
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年5月 4日 (土) 23時18分