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2021年4月20日 (火)

イギリス革命の成果と限界

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    1653年のこの日、オリヴァー・クロムウェルがクーデターを起こしランプ議会を解散させる。17世紀のイギリスで勃発した2つの革命、ピューリタン革命(1640-1660)と名誉革命(1688-1689)の2つを合わせて、イギリス革命とよぶ。イギリスでは、1628年、議会が「権利の請願」をチャールズ1世に提出し、それを認めさせた。しかし、王はその翌年、議会を解散し、以後11年間議会を召集せず、国民の権利を無視して専制政治を強化した。そのうち、スコットランドに反乱がおこり、鎮圧のための軍事費が必要となったので、王はやむなく議会を召集した。しかし、議会は課税を拒否したばかりでなく、王の不法をはげしく攻撃したので、王党と議会党との間に武力抗争が起こり内乱となった。この内乱は議会党の勝利に終ったが、その後、議会党の中で長老派と独立派との対立が表面化し、独立派が政権をにぎった。1649年、議会派はチャールズ1世を処刑して王政を廃止し、共和政を樹立した。1653年にはクロムウェルを護国卿とする独裁政権が成立したが、その基礎は狭く、彼の死によって崩壊し、1660年、チャールズ2世の即位によって王政は復活した。しかし、王はやがて反動的な専制主義をとり、旧教の復興をはかったので、議会は、1673年に審査律を可決し、さらに1679年には人身保護律によって王が人民を不法に逮捕・投獄しないことを規定した。ところが、チャールズ2世より王位をうけついだジェームズ2世も専制支配を強行したので、議会はかれを追放し、ジェームズ2世の長女メアリの夫オレンジ公ウィリアムをまねいた。メアリとウィリアムは議会の決定した「権利の宣言」を承認して王位につき、これを「権利の章典」として公布した。こうしてイギリスの議会制度は確立し、立憲政治の基礎が定まった。そして自由という大きな成果がもたらされた。しかしこの自由には重大な限界が隠されていた。それはあくまで土地をもつものの自由にすぎす、他民族の自由には何らの配慮も払わなかった。緑の島アイルランドは1801年完全に併合された。このためアイルランド人はイングランドに土地を奪われ大部分は小作人として悲惨な境遇に陥った。これがアイルランド問題の起源となる。(4月20日)

 

 

 

 

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コメント

はじめまして。ブログを拝見させてもらいました。
私は高校で世界史を教えている教員です。
実は、30年近く探している参考書があり、それを検索にかけたらここのブログに行き当たりました。
2006年10月28日 (土)に書かれました「高校世界史授業の思い出」の中に出てきている「研数書院 技法 世界史」なのですが、当時学生だったころに買おうと思いましたが高価で手が出ませんでした。いま、世界史を教えていますが、あの本の内容や切り込み方がとてもよかったと思っています。
もし、よろしければ相応の価格で譲っていただけませんでしょうか。コメントのアドレス欄にアドレスを入れましたので、お返事いただければ幸甚です。お返事お待ちしております。よろしくお願いいたします。

ケペル先生
メールありがとうございました。ご厚意に甘えさせていただきます。
必要事項等、メールにて返信しましたのでよろしくお願いいたします。

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