パリの自由の女神
セーヌ川に架けられたグルネル橋の中央にニューヨークの象徴といわれる自由の女神そっくりの像が立っている。といっても特段に不思議な話ではない。もともと自由の女神はフランス国民がアメリカの独立を祝って1883年5月21日に完成。1886年のアメリカの独立100周年に贈ったもの。制作者フレデリック・オーギュスト・バルトルディは彼の母親をモデルにしたと言っている。そして1889年のフランス革命100周年にパリ在住のアメリカ人が寄贈したのがこのパリの自由の女神である。現在では東京お台場、淡路島、大阪アメリカ村など国内各地でも大小さまざまな自由の女神があるそうだが、由緒正しいのは、やはりニューヨークとパリのグルネル橋の自由の女神であろう。
1789年のフランス革命当時のパリの人口は、約60万人といわれるが、19世紀にはいると工業の発達にともない、1826年75万人、1848年95万人と、人口は膨張を続けた。ナポレオン3世のころ、当時のパリ知事オスマンが大規模な都市計画を実施し、エトワール広場、シャンゼリゼ大通りなどを作った。その後、第3共和制以来、パリは絶え間なく発達を続け、1900年には地下鉄も開通した。
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