インドネシア独立戦争の英雄ングラライ
世界貿易機関(WTO)の事務局長にナイジェリアのンコジ・オコンジョイウエアラ元財務相が選出された。「ン」で始まる人名は珍しい。山川出版社の「世界史人名辞典」には1914名の人物が採録されているが、「ン」から始まる人名は1人もいない。ガーナの初代大統領クワメ・エンクルマ(1909-1972)は、Nkrumahでカタカナで表記すると「ンクルマ」としたほうが現地発音に近い。ガーナの首都アクラも英語ではAccraだが、実は「ンクラ」に近い。赤道ギニアの初代大統領フランシスコ・マシアス・ンゲマ(1924-1979)。テオドロ・オビアン・ンゲマ。インドネシアの独立戦争の英雄イ・グスティ・ングラ・ライ(1917-1946)が未採録なのは惜しい。インドネシアのバリ島には「ングラ・ライ空港」がある。
インドネシアは1942年以降日本軍政がおこなわれていたが、陸軍のジャワ、マライ・スマトラ、海軍の東インドネシアの三地区分断政策がとられた。民族の一体化を希求するインドネシア民族運動家は、日本の欺瞞に不満でぁったが、日本の敗戦後、ただちにインドネシア共和国の独立を宣言し、日本軍から武器を奪って国家体制を整えた。連合軍はイギリス軍をスマトラ北部から上陸させたが、10月末スラバヤに上陸したオランダ軍は各地に蘭印民政部を組織して再植民地化を企図した。インドネシア側は強力な武力闘争を展開し、1946年11月のリンガジャチ協定、1948年1月のレンヴィル協定を経て国連の介入によるハーグ円卓協定となり、主権移譲に関する取り決めがなされ、西イリアン問題を将来の解決に残して、1949年12月、オランダと対等の連合のもとらインドネシア連邦共和国の成立となった。しかし共和国を連邦共和国内の一員とするかぎりにおいては、いぜんかつてのオランダ時代の間接統治形態を踏襲するに過ぎない。共和国側は各構成自治国を共和国側に復帰させる工作をおこない、ついに1950年8月15日、単一のインドネシア共和国の成立に成功した。
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