堀部安兵衛の妻
高田の馬場16人斬りで有名な赤穂義士の妻と称する尼僧がいるという。赤穂義挙から70年以上も経た安永の頃の話である。ところは高輪泉岳寺の境内の清浄庵にいつのまにか住みついている。その名を妙海尼という。噂を聞いて、多くの者達が寺へやってくる。その一人に丹波国篠山藩士の佐治数馬為綱があった。彼は尼僧の話を丹念に聞き1冊の書物にした。これが『妙海尼話』(安永3年刊)である。 堀部安兵衛の父は越後国新発田の溝口信濃守の馬廻役。二百石の中山弥次右衛門といった。江戸に出た安兵衛は赤穂藩士の江戸留守居役の堀部弥兵衛に見込まれ、娘の「ほり」(お幸とも)の婿になったといわれる。妙海尼は赤穂義士たちの世評の高まりに合わせて、安兵衛の妻を偽称したのであろう。妙海尼は安永7年に93歳で亡くなった。(2月11月)
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