7世紀から17世紀までの世界史
中世から近世にかけての世界史を大きく概観する。
7世紀から12世紀までの西アジア・中東の展開が注目される。ムハマンドは610年にヒラー山の洞窟にこもって瞑想した。そしてアッラーフから啓示を受ける。死後、その教えはコーランとしてまとめられ、イスラーム教という新しい宗教が生まれた。8世紀に成立したアッバース朝カリフ政権がバグタードに都をおいて繁栄し、北アフリカから中央アジアまでを支配する。9世紀末以降は衰退するが、11世紀前半になるとイスラム化したトルコ人がセルジューク朝を建てて、シリアに進出した。これが十字軍がおこるきっかけとなり、セルジュク朝は12世紀半ばに滅亡する。一方、ヨーロッパ世界は200年におよぶ十字軍遠征で、教会勢力は衰微し、中央集権国家が成立する。そして14世紀に大きな変化が起きたと考える。ルネサンスがイタリアではじまり、西欧に広がった。15世紀末から大航海時代を迎え、ヴァスコダ・ガマがムスリム人の水先案内によってカリカットに到達した。アジアでは1368年に太祖洪武帝(朱元璋)がモンゴル人の元朝を倒し、明を建国した。漢民族の明は、新たな冊封体制の確立に努め、永楽帝による鄭和の南海遠征は、東南アジア・南インドからペルシア湾、東アフリカに及んだ。一方。イスラム世界ではトルコ系民族が主役の地位に復活し、中央アジアに起こったティムール帝国は、東西トルキスタンを制圧し、アンカラの戦いでオスマン帝国を破りマムルーク朝とイスラム世界の覇権を争った。
オスマン帝国は15世紀になってメフメト1世のときに発展し、1453年メフメト2世はコンスタンチノープを陥れ、東ローマ帝国を滅ぼした。これ以後、コンスタンチノープルは国都として大いに繁栄した。領土は小アジアを統一し、クリミア汗国を属国化してしだいに拡大した。スレイマン1世の時代はオスマン帝国の全盛期であった。強大だったオスマン帝国はどうして衰退してしまつたのか。17世紀後半を転機に次第にに衰え、1683年の第一次ウィーン包囲の失敗、そしてロシアのアゾフ海占領、これを受けて1699年カルロヴィッツ条約が結ばれたことから、オスマン帝国は衰退していく。衰退の原因は、官僚や軍隊の腐敗や肥大化といった帝国内部の問題だったが、新大陸や東アジアとの交易によって経済的に潤ったヨーロッパが、軍事面でも力をつけてきたことも大きく影響した。長らくイスラム優位だったヨーロッパとの力関係が、ついに逆転した。
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大航海時代・・その後の江戸時代の日本の鎖国・・今にしてみれば、鎖国良かったのかも・・。( ^ω^ )
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年4月27日 (土) 00時34分