洪秀全
1851年のこの日、洪秀全は1万人ほどの民衆を率いて金田村において武双蜂起した。洪秀全は広東省花県を原籍とする。洪氏の一族は北方から移住してきた客家であり、代々農業を営んでいた。かれは早くより科挙を志したが、三度失敗した。第二の試験を広州で受験したとき、「勧世良言」というキリスト教入門書を手にいれ、大いに感動した。かれが32歳のとき、キリスト教の洗礼を受け、布教活動に従事した。かれは同志馮雲山とともに、広西で上帝会を組織し、上帝は天夫、キリストは天兄、洪秀全は天弟であるとする変形のキリスト教を説いた。そして清朝政府とその軍隊と官僚は妖魔であると説き、重税に苦しむ貧農層に信者を獲得した。また客家出身者は本地人より差別され圧迫されていたが、かれらが上帝会の会員となって、地主、富裕層である本地人の作る団連の圧迫に抵抗していた。1850年洪秀全は広西省桂平県金田村で起兵し、拝満興漢・土地均分・纏足の禁止などのスローガンをかかげて連戦連勝し、1851年には永安を陥し、太平天国と号し、官制や王号を定めた。そのご武漢を衝き、1853年には南京も陥し、そこを天京と改めた。このころより政府の内部に血なまぐさい抗争が始まり、わずか3ヶ月たらずで指導者を次々に失った。太平天国は南の巨大な財産を獲得したのち、たちまちのうちに腐敗堕落したといわれる。洪秀全自身も1864年南京が陥落すると、毒を仰いで死んだ。(1月11日)
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