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2020年12月15日 (火)

フランス歴史と文化の多様性

  フランスはどのようにしてフランスになったのか。現在、パリをはじめ欧州各地にコロナウイルスの感染が拡大している。マクロン大統領は、国民に対して生活必要物資の買い物などの理由を除き外出を禁止するように命じている。

    国名フランスは、5世紀末にフランク王国をたてたフランク族の名に由来する。この種族はゲルマン人の勇敢な一部族で、フランカfranka(投槍)を主要な武器としたため、フランカ族(投槍族)と呼ばれた。しかし、さらに昔のフランス、森林地帯に覆われた時代はローマ人からガリGalli(ガリア)と呼ばれていた。

Rekishi_furansu    カエサル「ガリア戦記」によれば全ガリアは、ベルガエ(北東部)、アクイタニア(南西部)、ケルタエ(中央部)に区分されている。前8世紀からケルト人が来住していたが、ゲルマン人とガリア人が混血してベルガエ人が定住するようになった。前52年、カエサルによって全ガリアがローマに支配されるようになった。476年、西ローマ帝国が滅び、クロヴィスによってメロヴィング朝が開かれる。クロヴィスの死後、フランクの慣習によって分割相続がとられたため、王国は分裂・内紛を繰り返して衰退した。クロタール2世によって再統一されたが、7世紀後半から王国の行政を取り仕切った宮宰に実権が移ってゆく。751年、ピピン3世がカロリング朝を開く。987年にユーグ・カペーがフランス王に即位し、以降、カペー朝、ヴァロア朝、ブルボン朝と王朝は交替したが、その血筋は続いている。14世紀初めに教皇庁をローマからアヴィニョンに移転させ、フランス王権の優位性を示した。このことによって、のちの宗教改革の時代よりも早く、フランス教会はカトリックの枠内にありながらローマ教皇からの事実上の独立を成し遂げた。(ガリカニスム)近世はイタリアのフィレンツェから始まり、西ヨーロッパに広まった。フランス近世の萌芽は16世紀の前半、フランソワ1世やアンリ2世の時代にみられる。国王の支配はほぼ全土におよび、この頃ヨーロッパで、最も人口の多い強国となった。しかし16世紀の後半、宗教戦争による惨禍・不安・混乱があった。フフラン絶対主義の基礎がきずかれたのは、1589年に王位についたブルボン朝の祖アンリ4世の時代である。彼はユグノー戦争をナント勅令によって終わらせる一方、国内の経済復興に努め、農業の保護奨励策をとって農民の救済をはかり商工業の発展にも力をいれた。とくに絹織物業をおこしたり、東インド会社を設立したりしたことで名高い。18世紀初め、ルイ14世の時代、絶対王政の最盛期を迎えた。そして18世紀末に始まるフランス革命、ナポレオン時代に際して、数々の歴史的大事件が繰り広げられた。王政復古、第2共和制、ナポレオン3世の第2帝政に続き、1871年の普仏戦争の敗北後、パリ・コミューンの乱があったが、政局は安定せず、1879年には第3共和制が設立し、ここにフランス共和政の基礎がつくられた。

Img_0016   第2次大戦で国土の半分がドイツに占領されたが、南半分に対ドイツ協力政権のビシー政権(ペタン元帥)が成立、1944年8月連合軍がパリを解放、9月ドゴールを首班とする臨時政府が成立、ドゴールは1958年に第5共和制を発足させ、1962年に大統領直接選挙制を導入した。(France,Jeanne d'Arc,Belgae,Celtae,Aquitania)

 

 

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