ひれふりの嶺
佐賀県松浦の地方は、魏志倭人伝にも「末廬」と見えて、はやくから大陸文化と関わりの深いところである。唐津は大陸にわたる要港であった。宣化天皇のむかし(6世紀前半)新羅攻撃に向かう青年・大伴狭手彦が土地の長者の娘である松浦佐用姫と恋をした。しかし、やがて狭手彦は再会を約し、哀惜の情を1枚の鏡に託して航路についた。佐用姫は別れ易く、会うことの難いことを嘆いて、鏡山(唐津市)に登り領巾(ひれ、婦人の肩にかける布)を振って船を招いたので、その山を「ひれふりの嶺」と名づけたという伝説が残されている。さらに後日譚として、佐用姫は船を追い、松浦川を渡り、加部島の丘に果てた。七日七晩泣き続け、ついに石に化したという。
この松浦佐用姫伝説は、万葉の歌人たちにも数多く詠まれている。
遠つ人松浦佐用比売つま恋ひに 頒巾振りしより負へる山の名 山上憶良(巻5-871)
行く船を帰れとか 頒巾振らしけむ松浦佐用比売 大伴旅人(巻5-874)
行く船を振り留みかね如何ばかり 恋しくありけむ松浦佐用比売 大伴旅人(巻5-875)
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