北京原人は火を使用しなかった!?(異説世界史)
1929年12月2日、裴文中が中国・周口店で北京原人の完全な頭蓋骨を発見した。これまで人類が初めて火を使ったのは50万年前の北京原人(学名ホモ・エレクトス・ペキネンシス)と考えられていた。近年、南アフリカ北部で約100万年前に草木を燃やし、獲物の動物などを焼いて食べていたとみられる跡が発見された。しかし欧米の学者は、洞窟内の灰の跡は堆積したコウモリの糞が自然発火したものであり、北京原人が火を使い、調理したり、火種を保存する能力がなかったのではと見ている。ブラックによって学名シナントロプス・ペキネンシスと名付けられていたが、現在はホモ・エレクトス・ペキネンシスと改称されている。アフリカ起源の人類が世界各地域に広がったとする単一起源説が優位であるが、米学者ミルフォード・ヴォルポフらは北京原人を根拠に多地域並行起源説を唱えている。中国の学者らも単一起源説に批判的であり、北京原人が火を使い、火種を保存する能力があったと反論している。
20世紀初頭の北京原人の調査にあたった学者たちは米の古生物学者ヘンリー・オズボーン(1857-1935)の影響下にあった。オズボーンは中央アジアこそが人類の起源であるという仮説をたてた。1914年、スウェーデンの地質学者ヨハン・アンダーソン(1874-1934)は中国全土を調査した。1919年にカナダ人のダヴィッドソン・ブラック(1884-1934)が北京にやって来た。1921年、ブラックとオットー・ツダンスキーは周口店で北京原人の歯を発見した。続いて輩斐文中がほぼ完全な頭蓋骨の化石を発見し、世界的に注目が集まった。ワイデンライヒは北京原人を現生人類の祖先と考えたが、現在では否定する学者が多い。未だ北京原人がアジア人の祖先か、火を使用したのか、使用しなかったのか、決定的なことは謎のままである。もつとも確実な炉の址が見つかったのはフランスのテラ・アマタ遺蹟で約40~35万年前である。
アンダーソン ブラック
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