ルノワールと印象派の仲間たち
本日はフランスの画家ピェール・オーギュスト・ルノワールの1919年の忌日。1841年2月25日、中仏リモージュで5人兄弟の第4子として生まれた。父のレオナールは仕立屋、母のマルグリットはお針子だった。ルノワールが4歳のときに一家はパリに移ったので、彼は首都で育つことになる。13歳のとき、ルノワールは小さな陶磁器工場の絵付け見習いとなった。工場に勤めていた時代、昼休みにルーヴル美術館にたびたび通っていた。彼の好んだ絵は、ヴァトーやブーシェやフラゴナールの描いた宮廷生活の目も綾な18世紀名画であり、劇的で鮮やかな色彩に富んだドラクロワの油絵だった。
1862年、21歳のルノワールは、パリで有名な私立画塾シャルル・グレールのアトリエ学生となった。画塾の性格は伝統を重んじ保守的だったが、おかげでルーヴルに行って昔の巨匠たちに学ぶ時間がたっぷりでき、それが彼に良い影響を与えた。だが、グレールはまた戸外でスケッチすることの大切さも強調し、ルノワールにフォンテンブローの森へ行くように強くすすめた。
学生仲間であったクロード・モネ、アルフレッド・シスレーやフレデリック・バジールらを通じてルノワールはエドガー・ドガやエドゥワール・マネをはじめ、多くの作家や批評家を知った。彼らはしだいに友情で固く結ばれ、定期的にパリのカフェで会っては自分たちの方法論を語り合ったのが印象主義という考え方であった。さらにピサロ、セザンヌ、ギョーマンらとも交わり、のちの印象派運動に向かう若い革新画家の一団に仲間入りした。こうして初期にはコロー、ドラクロア、クールベからの影響を受けた。ところが、1870年に普仏戦争が起こり、ルノワールも従軍し、仲間たちとの交遊も突然の休止を余儀なくされた。1874年パリで第1回印象派展が開催された。1907年、ルノワールは南仏ニースの隣町カーニュ・シュル・メールに12年間過ごした。サロンにはモネ・マティスなど名だたる芸術家を歓待した。晩年、リュウマチを患いながらも車いすに座り、握れなくなった絵筆を手に縛りつけて描き続けた。(12月3日)
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ルノアール・・印象派の巨匠ですね。
絵画志向者は一度は通る画風・・(◎´∀`)ノ
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年12月 2日 (月) 16時10分