ゴルチュンの法典の3身分制
クレタ島の都ゴルチュンには紀元前450年頃にできた市民法典を刻んだ石碑が残っている。12の石版をつなげた長さは9メートルにも及ぶ。その一部はルーブル博物館にあるが、ほとんどはそのまま現地に保存されている。そのころのポリス社会の身分構成は大きく3つに区分されていた。市民エレウテロイ(自由人の意)、アペタイロイ(市民を組織する下部集団)、奴隷(ドロイ)の3身分に構成されていた。市民とアペタイロイは自由民であるが、アペタイロイは戦士市民の共同食事に加わる資格を失った脱落市民、在留外人、解放奴隷などであろうと推測する。これとは対照的に古典期のアテネは、アペタイロイのような中間的隷属者を全く欠き、ミケーネ時代の小ポリスが先進地域として大きく発展を遂げた。
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