隣は何をする人ぞ
淋しい秋の夕暮れ。隣に住んでいる人は、どんな人で何をして生きている人か知らないけれども、この晩秋を、自分と同じように、生きるための悩み多い日々をおくっているのであろう。現代は思いもかけない災難が突然我にふりかかる。コロナ禍の今年の秋はなおさらこの句が身に染みる。パソコンの遠隔操作で誤認逮捕された人がいる。尼崎ドラム缶殺人事件の容疑者の顔写真は別人だった。平凡に生きていた人がある日突然、自分の顔写真がテレビ、新聞、ネット上の画像に氾濫し、凶悪犯人にされてしまう。「心からお詫びします」「再発防止に努めます」と言っても型通りの謝罪だけで、心の傷は一生消えないだろう。世間の人も自分でなくてよかった、と思い、同情はするものの、やがて人ごととして忘れ去り、また同じような被害者は繰返し現れる。人の世は哀れである。「秋深き隣は何をする人ぞ」
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こんにちは。けさゴミ用ネットを出しに出ると、空には煌々と月。確実に冬への歩みが始まっています。尼崎の事件、森口氏の騒動、ネパール人の冤罪、家電会社の大赤字…当たり前ですがそこには全て人の営みがあり、紛れもなくこの国で起こっている。明日は我が身、を感じずにはいられません。
投稿: ステレオタイプ | 2012年11月 2日 (金) 07時05分