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2020年10月26日 (月)

定住圏構想

   「♪僕の恋人東京へ行っちっち 僕の気持ちを知りながら 東京はそんなにいいんだろう 僕も行こう あの娘の住んでる東京へ」守屋浩の「僕は泣いちっち」が流行ったのは1959年のことである。おそらく娘は東京に憧れて家出したのだろうか。この歌は当時の都市・農村関係を端的に表現している。戦後わが国における地域開発が本格的に開始されたのは、この歌が作られた3年後、1962年に策定された第1次全国総合開発計画である。これは、1960年にスタートした所得倍増計画らよって生じた地域格差の是正と、過密の弊害除去を主たるねらいとしたものである。都市への人口流入は、産業化や近代化の結果であり、世界各国でみられる現象である。日本では1960年代に世界史上まれな急激な経済成長がみられた。そのため日本の歴史上最大の人口の国内移動が、農村から都市への移動となってあらわれた。

1969年に第2次全国開発計画をスタートする。この計画も石油ショックや1972年の「日本列島改造論」に端を発した地価の高騰に拍車をかけ、空中分解に終わった。そして、1977年に第3次全国総合開発計画が出される。これは大都市への人口と産業の集中を抑制し、一方、地方を振興し、過密過疎問題に対処しながら、全国土の利用の均衡を図りつつ、人間居住の総合的環境の形成を図るための方式(定住構想)を打ち出した。「地方の時代」「田園都市構想」「定住自立圏構想」等々といった用語が変わりつつも現在に至るまで都市圏への人口集中と過密・過疎の問題を解決するには至らない。

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