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2020年10月30日 (金)

産業革命と社会問題

  18世紀のイギリスでは、毛織物工業を中心とする工場手工業が発達し、鉄鉱石と石炭が国内で豊富に産出した。また、海外に広い植民地をもっていたため、原料の供給地と製品の市場があり、豊かな資本をたくわえていて、産業革命がおこる基礎があった。やがてジョン・ケイの飛び杼を初めとして、ハーグリーブスのジェニー紡績機、アークライトの水力紡績機、クロンプトンのミュール紡績機などの木綿工業で織布・紡績の機械の発明・改良がなされた。またニューコメンやワットなどの蒸気機関の動力発明が相ついで、技術的な革新が起こり、18世紀後半には、工場制、機械制大工場の工業化への道を開いた。産業革命は近代国家発展への幕開けとなった。しかし。一方で大都市環境を悪化させるという負の面もあったことを看過してはならない。

  産業革命以前のヨーロッパ社会は、伝染病とくにペストの侵入によって大きな影響を受けた。14世紀半ばの黒死病の流行は、ヨーロッパの4分の1の人口を減少させた。これは荘園制度の崩壊と農奴制度の没落を来し、イギリスでは急激な人口減少が農地の維持を困難にしたため、広大な牧野と羊の飼育が行なわれるようになったことは、産業革命を促す引き金にもなったといわれる。しかしペストの流行も、1665年のロンドン大流行を最後に局地的な小流行を残すだけになった。産業革命のあとは、コレラ、腸チフスのような急性伝染病の流行や結核による急激な死亡の増加といった現象を生むに至った。

    とくに結核菌は、空気感染する疾病のため風が吹かない閉鎖空間で感染する疾患である。このため人口が集中し室内で社会活動が行なわれる大都市環境を好んで結核感染が起こりうる。イギリスでは工業化の進展によって、19世紀初頭にはマンチェスター、リバプール、バーミンガム、リーズ、グラスゴー、エジンバラなどの工業都市が出現し、都市環境が大きく変化したことにより、結核は「白いペスト」と呼ばれて大流行した。1830年ころのロンドンでは5人に1人が結核で亡くなったといわれる。当時の労働者は賃金が低く抑えられていたうえに、1日の労働時間が、14~15時間が普通であった。また急激な都市への人口集中によってスラムが形成され、人びとは生活排水をテムズ川などの河川に投棄し、その川の水を濾過して飲料水とするなど、生活環境も劣悪であった。過労と栄養不足が重なり、抵抗力が弱まったことから結核菌が増殖し、非衛生な都市環境がそれに拍車をかけたものと考える。

    産業革命後のイギリスの経済的発展のかげに、労働者階級の急激な結核死亡の増加は重要な社会問題となったが、この頃、今日の公衆衛生学的な考えの父ともいうべきエドウィン・チャドウィック(1800-1890)が現われた。彼は「最大多数の最大幸福」という哲学原理で当時有名であったベンサムの弟子で弁護士であった。1832年に救貧法制定委員会が設立され、チャドウィックはやがてその委員長になった。イギリスでは19世紀後半から、生活水準の向上に伴って結核の死亡は漸次低下の傾向を示していった。(世界史)参考図書:アーノルド・トインビー「英国産業革新論」 大日本文明協会 1908

 

 

 

 

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